御礼

今日は本当に良い一日だったと思います。 皆さんからは貴重な時間を割いて頂きコメントを残して下さり、本当にお礼を申し上げます。こうやって沢山の方に祝って頂けて、おかげさまで誕生日が楽しいものとなりました(笑)

誕生日などのお祝いごとの折につけ、命というものを考えることが増えてきました。誕生日はその人が生きてきた証、いわば年輪みたいなものだなと。

とはいえ、お恥ずかしいことに私自身、結婚後も子供を持つことにかなりの躊躇いがありました。理由としては色々ありましたが大きく分けると2つであり、それはこのご時世、自分の子供が今後この日本で幸せな人生を送れるのか分からなかったし、また何より自分が親としての責任を全う出来るか全く自信がなかったからです。

それから数年たったある日、旦那の叔母が亡くなりました。 叔母は旦那が小さい時からお世話になっている方で、当時忙しかった旦那のお母さんの代わりに当時幼かった旦那の面倒を見て下さった方です。とても気さくで太っ腹な方でした。

私たちは電話でその訃報を知りました。 数日後、私たちは葬式に参列したのですが、その時に旦那が初めて嗚咽を漏らし泣いたんです。

人の命というものの、絶大な力を感じました。こんなにも命は、他の人たちに感動や落胆、様々な衝撃を与えるんだと。

その後の説教で、お坊さんは「命」についてお話をされていました。 私たちは昔から先祖の命を頂いて今を生きており、そしてこの私たちの命は、先祖同様、今後の命に繋げていくものであると。

「脈々と受け継がれる命」その言葉を聞いて、私は心をガシッと掴まれグラグラと揺り動かされるような気持ちになりました。

叔母の命は無くなったけれど、叔母の命は形を変えて旦那やその他の方の中で生きていくだろう。 でもきっとその叔母も、誰かの命を心に抱いて生きていたんだろうと。 そしてその叔母の心の中に居た誰かも同様に。

命に対し、ここまでありがたいなと感じたのはその時が初めてでした。 そんな先祖から頂いた命を、ここで絶やすのはいけないと、初めて心で理解しました。

…と私の考えをつらつら書いてみましたが、人生色んなオプションがあって良いと思います。 無論、子の居ない人生を送るのも、それはそれで実りある人生になるでしょうし、要するに、自分がハッピーであることを選んでいけばいいと私は勝手に思っています。

そして私は、今6歳の娘がウロチョロ、私の周りで走り回っているこの現状を選びました。 子育ては色々大変なことがありますが、命というものを存分に輝かせている存在を目の当たりにし、私は本当に幸せだなと思っています。 そして私の命も同様、ここまで元気に過ごせたことに感謝です。

そんな娘は今日ご飯をたらふく食べ、具体的に言うと、白米1.5合は食べ、すっかり眠りについています。 また明日も楽しく過ごせますように。