6年後

東日本大震災から丁度今日で丸6年。思えばあの日から時が過ぎるのが急速に早まった気がします。

これは私の意見なのですが、人は死を目前にして初めて「生」「生きること」を意識するのではないかと思っています。私はあの日ほど「生きたい」「子供を守りたい」と強く思った日はないでしょう。あの突き上げる「生きる事への執着心」が、実際経験した人ならお分かりかと思いますが、正しく揺るがない本能なんだと思い知らされました。

そこから私の生活はガラッと変わってしまいました。小さな命を預かる身であるので、私自身のことは二の次で全てが試行錯誤の毎日でした。そうこうしている内に、気がついたら数年経っていました。 あの当日の思い出は色んな感覚を伴って、私の頭の中に未だに住みついています。辛い体験と言えばそうなのかもしれません。

しかし今は少しその感覚に変化があったりします。それはこの震災がなければ知り合えなかった素晴らしい人たちと、縁あってお会いできた、という事実があるからです。 震災があって良かったとは全く思いません。しかし禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものだなと、今は強く思います。人間は得られた結果の表面だけ見て成功・失敗と言ってラベリングを張り満足しようとしますが、そもそも本当の成功・失敗なんて、当の本人にしか分からないし、死ぬ間際でしかそんなことは分からないし、もっと言うならばそんな結果こそ、評価するに値しないんだと、最近ふと思い始めてきました。

人間はいつ死ぬか分からないものです。そのいつ終わるか分からないその人生で、どれだけ自分が納得した生き方をしたか、ここが肝なんだろうなと。

改めて、震災が起き津波にさらわれて亡くなった方々に、追悼の意を表します。それと共に、彼らがその人生を最後まで生きぬいたという事実にも、深く敬意を表します。

無くなった方々は全く私と同じように、無事に生きて無事に人生を閉じるんだろうなと思っていたことでしょう。その安寧とした生活の中で、育んだ愛、記した思い出、心から打ち込んだ物事があったはずでしょう。その事実こそ、尊いものなんだと思うのです。

私もこの頂いた命を大切に、日々を過ごしたいなと、改めて思った今日でした。死ぬ時まで、一生懸命生きたいなと思います。