生かされているという感覚

最近和書、特に自分の興味のある分野について心から読みたいなぁと思う事が多くなりました。特にここ数ヶ月、読みたいなぁと念じているだけの本があります。 日本に居たらAmazonとかで簡単に買えるんでしょうが、こちらに居るとひと手間かかります。実家に届くように指定して購入する手もあるんですが、それも私の状況にそぐわなかったり。私の気持ちがそれまでと言えばそうなのかもしれません。

それにしてもこの今の私の思考回路、何かちょっと方向性を変えると、何かまた面白い方向に行きそうな気がするんですが、どうやって違う方向性を持たせたらいいのか分からず思案中です。あとイメージすることって大切だなと思ったりしています。

最近おこがましくも自分の過去を振り返ることがちょっとだけあるのですが、結局なるようになるしかないのかな感じています。もちろんそれは努力が無駄だという事ではなく、頑張った結果に訪れる結果は偶然ではなく必然的なものだろうという事です。

小さい頃ビー玉を何度か飲みこんでしまい窒息して死にそうになっても、ほんの好奇心からガラス瓶を熱し、破裂した破片が深く手に刺さって大出血しても、親が勘違いして遠出した先、電車で20分乗った場所に、当時1ケタの年齢の私だけ残して夕方帰ってしまっても、間違って風邪薬をうっかり3倍ほど多く飲んでしまっても、たまたま乗り損ねた電車が死傷事故を起こしても、実家近くの工場が大爆発を起こし、ガラス瓶などが家に飛んできても、大学生の時にかなり忙しくて体重が今より20キロ以上落ちてしまい、医者に「このままなら死ぬぞ」と怒られても、震災時の15日前後にたまたま娘の嘔吐下痢で外出できずその後も数日間外に出られなくても、その他色々あっても、いま私は元気で暮らしていて、娘のアレコレに頭を抱えているというのは、やっぱり何か「生きなさい」と言われている気がしています。と言ってもそんなに大した人間でもないので、もしかして気のせいかもしれません(笑)

でも私としては、どんな時も気持ちを平穏に保つことって大切だなと最近じわっと感じています。娘と向き合っているとなかなか難しいですが。 もっとワクワクする気分を大切にしたいなと思った雨の日でした。 という感じでちょっと意味不明な感じで終わらせてみたいと思います。