私が小学生の頃

娘はもちろん日本人なので、日本語は年齢相応に話しますが、本を読むとなると、とたんに舌足らずな口調になったりします。 その舌足らずな口調は、私としては純粋に親心をくすぐるものであって、ずっとこのままでも良いかなぁとか勝手なことを思ったりしますが、やはりこれは日本語の発音に娘の舌や口の周りの筋肉が対応しきれていないがために起こる現象なんでしょうね。

そんなことを考えているうち、ふと私が10歳、小学5年生の頃を思い出しました。 当時の担任は新任の男性教員で、大学院を出て先生になった方です。 何故大学院まで出て教員になったのか、今にして思えば不思議ですが、当時の私には宇宙的規模でどうでもいいことでした。

しかしその先生、何しろ今にして思えば生徒の子供たちに対し、ものっそい上から目線だったんですね。子供に対し、大人の誠実な対応を徹底的に求める、ちょっと理想の高い先生でした。当時こんな言葉、そもそもそんな概念すら知らなかった私ですら、なんかちょっと怖い人だなぁと思う事もありました。

まぁでも子供の気持ちなんて持続性なんてあるわけなくて、先生にどんなに冷たく当たられても、子供の太陽のようなパワーで先生という存在を飲み込もうとするんですよね。

結局その先生には私が卒業するまで何かとお世話になったんですが、私が卒業する12歳の頃までには、だいぶ角が取れ、やたらめったらニコニコする先生に変わっていました。子供にまみれて次第に変わったんですね。

子供のパワーってスゴイですね。当時の私たちなんですが。 私はいつそのパワーを無くしてしまったんでしょう。大人になるって知識を得ること代わりに何かを失う事なんでしょうか。

…とまぁ暗い方向に話を持って行くことが主題ではなくて、その年の私の卒業式で、その年で定年退職される校長先生に卒業生が1人1人、校門の前で感謝の気持ちを述べることになっていたんですが、私は万感の思いを抱きながらも、校長先生の前では緊張のあまり「どうもご苦労様でした」と労いの言葉を掛け、スッとそのまま学校を去り有終の美を飾ったことをお伝えして〆ようと思います。 若干12歳の子に労われる60歳の校長先生。